もう、その頃には、ライブで全国回って動員を増やしていってなんて考えは捨てていた。
その頃だったか、違う時だったか、僕ととーるはバンドの方向性について話したと思う。その年91年はザ・バージル解散の危機と僕は冗談めかして言っていた。ヒロナオがオーストラリアに行くと言ったからだ。
91年12月16日。豊橋ときわのバークレイでヒロナオ壮行ライブが行われた。
その時のビデオが現存するが、まったくバンド解散ライブそのもので笑える。バージルの名前の由来サンダーバードのビデオを流す、僕とヒロナオでマージービートを歌う。アンコールでは大西がヒロナオに捧げると言いながらオリジナル曲を演るなど、もう、後はないという感じなのだ。その時の段取りが今僕はどーしても思い出せないが、僕はバンドの解散ライブみたいなのは大嫌いなのだ。ましてデビューもしていない田舎のアマチュアバンドのメンバーが抜けるから来てね、みたいなことにだけはしたくなかったはず。でも結果的にそうなっていることがおかしい。
92年からはバージルどうしようかという思いになった。ヒロナオが抜けたことで、僕らは同い年の3ピースになった。急に白髪が増えたような気がしたのを覚えている。
僕には引っかかっていたことがあった。R&B(リズム&ブルーズ)とかSOULという響きだ。もちろん僕にはそんな血は流れていない。黒人のやる音楽なんてまるでわからないし、大昔にアフリカから無理矢理連れてこられた人たちの悲しみや苦しみなんて知る由もない。でもソウルというジャンルの音が流れると身体が動いてしまうのはなぜ?古いフィルムで見たテンプテーションズのステップに鳥肌が立ってしまうのは?映画「BLUS BROTHERS」何回見ても飽きないのはどーして?さらにセルジオ・メンデスなんていうブラジルのバンドのリズム感が頭の中でぐるぐるする。アル・グリーンの声がバスドラが響く。トーキング・ヘッズって実はソウルじゃんとか。ユッスー・ンドゥールの声を出したいと思う。90年の年末に感じた黒いシミが広がってきたのがわかった。
長い間の葛藤があったと思う。しかし基本的にリーダーの僕がやりたいことがその時のバンドサウンドなのだ。
1992年3月8日。ザ・バージルは現役最後のライブを行う。僕の希望でエリック・クラプトンばりのギターを弾く河合氏をサポートメンバーとして招いた。
その音は、限りなく黒いバージルだと今思う。古いR&Bのフレーズを使った焼き直しみたいなアレンジをしている。でも僕の曲とその古くさいビート感はなぜか融合しているのだ。百戦錬磨のとーるや西はMr.河合の黒っぽいリズム感に合わせたビートを出す。僕は気持ちよかった。身体の中心が揺れてくるようなうねりを体感したのだ。初めて自分がコステロになったような勘違いをした。高校生の頃映画館でルーカスのアメリカン・グラフィティーを見たとき、耳に残ったのは、黒人が歌う「Come Go With Me」や「Get A Job」だった。サントラ2で聴いた「Ain't That a Shame」「I Only Have Eyes for You」は僕がいつか演りたいリストに上がった。それらはいわゆる「真っ黒」ではない。ソウル側からポップス側に提案した音だ。そういう音に近づいたとそう思った。
ライブ後Mr.河合からバージルへ参加はできないと言われた。僕は途方に暮れ、以来何もしなかった。
アマチュアバンドの解散なんてそんなものだ。ザ・バージルは簡単に終わった。